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津地方裁判所 昭和57年(行ウ)4号 判決

原告

亀山あい

右訴訟代理人弁護士

小野幸治

森井利和

長谷一雄

被告

四日市労働基準監督署長岡有

右指定代理人

宮澤俊夫

横井保

立花益寛

山口三郎

尾崎肇

倉田幸夫

阿部魏

岡田達雄

種村正彦

加納和三郎

主文

1  被告が昭和五四年一二月二一日付で原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の亡夫亀山豊(昭和五年一月五日生。以下、被災者という)は、昭和三四年四月から日本運送株式会社(以下、訴外会社という)四日市支店に運転手として勤務し長距離貨物輸送に従事していたが、昭和五四年六月五日から三日間の予定で同僚の福井章運転手と二名で三重県四日市市から熊本県天草郡龍ケ岳町所在の公進ケミカル株式会社天草工場(以下、公進ケミカルという)へ三菱油化製品の二〇〇キログラム入りドラム缶五〇本を大型貨物自動車(以下、トラックともいう)で運送すること(以下、本件天草運行という)を命ぜられ、右ドラム缶を大型貨物自動車に積載のうえ、同日午後零時過ぎに訴外会社四日市支店を出発し、翌六日公進ケミカルに到着して荷卸しを終えて帰路についたが、途中で気分が悪くなり、更に熊本県下益城郡松橋町内で嘔吐し、福井運転手の訴外会社鳥栖支店への連絡により九州自動車道鳥栖インターチェンジで手配の救急車に乗りかえ、佐賀県鳥栖市内の三輪堂医院に直行して受診したが、同日午後七時二五分頃同医院において高血圧性脳内出血により死亡した(以下、本件被災という)。

2  原告(被災者の妻で被災者の死亡当時その収入によって生計を維持していた。被災者には子はいない)は被災者の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し労働者災害補償保険法一二条の八第一項に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は被災者の死亡は業務上のものではないとして昭和五四年一二月二一日付で遺族補償給付及び葬祭料の支給をしない旨の処分(以下、本件処分という)をした。

3  原告は本件処分を不服として三重労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は昭和五五年一〇月三一日付で右審査請求を棄却したため、更に労働保険審査会に対し再審査請求したが、同審査会は昭和五六年一二月一四日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書は昭和五七年三月一六日原告に送達された。

4  しかし、被災者の死亡は業務上のものであるから、本件処分は違法であり、取消されるべきである。

5  よって、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の事実は認め、同4の事実は否認する。

三  抗弁

被災者は高血圧症の基礎疾病を有していたところ、以下に詳述するとおり、〈1〉被災者の勤務は長距離貨物自動車運送に従事するものとしての通常の業務であったこと、〈2〉脳出血発症前の業務が従来に比べて量的にも質的にも著しく異なる過激なものではなく、被災者に強度の精神的又は肉体的負担があったとはいえないこと、〈3〉本件天草運行についても従前の業務に比べ質的・量的に過激な業務ではなかったし、業務に関連する突発的かつ異常な出来事もなかったこと、〈4〉脳出血発症後、被災者に対する措置に適切を欠く点はなく、仮に右措置が不適切であったとしても、本件脳出血は救命不能であるから、右措置と被災者の死亡との間には何ら因果関係はないというべきであるから、右基礎疾病を急激に増悪せしめる様な業務上の要因は全く存在せず、被災者は高血圧症であることを知りながら適切な治療・療養を怠ったため自然的増悪の過程の中で発症した脳出血により死亡したものであり、結局、被災者の死亡は業務上の事由によるものとはいえないから、本件処分は適法である。

1  被災者の従事していた運転業務の内容

(一) 運転業務の一般的内容

(1) 被災者は、訴外会社の路線運転手として長距離貨物輸送に従事し、訴外会社が予め定めた運行計画に従い同社の大型貨物自動車を運転して指定された地へ物品を運搬していたが、そのほか、運転手の希望によって月一回程度「臨発」と称する臨時の運転にも従事しており、いずれも本件被災前の数年間は福井章運転手と二人一組で業務に従事していた。被災者の具体的な業務内容は、始業に際し車両の点検を行い、指示された荷物の積込みをしてから目的地まで貨物自動車を運転し、到着後は荷物を卸して往路の任務を終え、帰路も同様の行程に従事するものであるが、運行日数は目的地によって異なるものの一往復でおおむね足かけ三日程度であり、必らず交替要員を同乗させて二人が組になって約三ないし五時間毎の交替で運転し、その間他の一人は運転席後部に設けられた仮眠室に体を横にして睡眠又は休養をとることができ、荷物の積み卸し作業については、通常他の従業員が操作するフォークリフト等で搬出入が行われるため、運転手は貨物自動車の荷台内で補助的に整理作業に従事する程度であった。

(2) 右業務は、訴外会社の他の運転手と何ら異なることはなく、長距離貨物輸送業界における運転手の一般的業務内容とも特段異なるものではないのであり、結局、被災者が生前従事していた業務自体は、特に精神的・肉体的負担を伴うものではない。なお、訴外会社を含め貨物自動車による長距離貨物輸送業の業態は、会社を出発して目的地に貨物を輸送し再び出発地会社へ戻ることを原則的な一行程とする貨物自動車の運行の繰り返しを中心とするものであり、その性質上、一行程の運行は長距離化し、いきおい運転時間も長時間になるとともに、交通閑散な時間帯をねらって深夜運行となることが多くなるけれども、それは事業の特殊性から業務遂行上やむを得ないものと考えられる。

(二) 本件被災前の勤務状況等

(1) 被災者の本件被災前三か月間の勤務状況は、別表(一)記載のとおりであり、本件被災前三週間の具体的な勤務状況は、別表(二)記載のとおりである。

(2) 被災者が従事していた右業務は、特に著しい過労状態をもたらしていたわけではなく、このことは以下〈1〉ないし〈6〉の事実に照しても明らかである。

〈1〉 業務の主体となる運転の運行日数は一往復おおむね足かけ三日程度であるが、一往復の実質的運行時間は貨物自動車の運転時間(交替要員が運転する非ハンドル時間を含む)の他に、貨物積卸時間、食事等時間及び手待・整備時間を合わせても合計二日間に及ばないものであって、その余は右実質的運行の前後に設定された完全に勤務から解放された時間であり、しかも手待時間が右運転開始前又はその途中に置かれた具体的労務に従事せず比較的自由にくつろげる時間であったことからすれば、業務上の疲労等を受ける時間は右実質的運行時間よりさらに短いものであること。

〈2〉 運行に当り必らず交替要員を同乗させ、二人が組になって約三ないし五時間毎の交替で運転し、その間他の一人は運転席の後部に設けられた仮眠室に体を横にして睡眠又は休養を自由にとっていたこと。

〈3〉 原則として右往復の運行毎に三〇時間を超える休日等の完全に勤務から解放された時間があったこと。

〈4〉 これらの運行は、訴外会社の一方的決定によるものではなく、運転手の選択によっていたものであるから、運転手に与えるストレスは訴外会社の一方的決定によるよりも少なく、その日の体調にも合わせやすいものであったこと。

〈5〉 時間外労働を七五時間とするいわゆる三六協定が厳守されていたこと。

〈6〉 被災者は路線運転手として二〇年の経験を持ち、右の如き長時間勤務や夜間運行を伴う業務形態が一つの生活リズムとして習慣となっており、右業務形態は一般の日勤者が考えるほど生理的リズムに影響を及ぼすとは考えられないこと。

(3) 被災者は、昭和五四年六月二日午前九時頃広島への往復運行を終えて帰宅し、同日午後零時三〇分に福井とともに伊勢湾の神島へ海釣りに出かけ、同島で夜釣りと早朝釣りをした後、三日午後六ないし七時頃帰宅した。翌四日は休日になっていたにもかかわらず、福井とともに訴外会社四日市支店へ臨発の仕事を探しに行ったが当日の臨発がなかったので、翌五日からの勤務に関し福井と相談のうえ本件天草運行を他の運転手よりも優先的に選択し、四日午後二時から一時間かけて天草への貨物の積み込み作業をした。

(4) 右(3)の事実に照らせば、仮に従前の運行等によって疲労していたとしても、六月五日午後から始まった本件天草運行の開始時にはそれまでの疲労から完全に回復し、被災者には疲労の蓄積はなかったことが明らかである。

(三) 本件天草運行の状況

(1) 被災者は、昭和五四年六月五日午後零時過ぎ、福井運転手とともに二〇〇キログラム入りドラム缶五〇本を積載した大型貨物自動車を運転して訴外会社四日市支店を出発し、別表(三)記載のとおり、休憩をとりつつ交互に運転し、同月六日午前一〇時三〇分頃目的地である公進ケミカルに到着し、約四〇分間で荷卸作業(これはドラム缶五〇本を被災者と福井が横に倒し貨物自動車荷台の上を公進ケミカルの作業員の運転するフォークリフトまで転がしていくものであり、通常の業務である)を完了した。

(2) 被災者らは、同日午前一一時一〇分頃、福井の運転で公進ケミカルを出発し帰路についたが、約一〇分後に海岸で魚釣りをしている人を見かけて停車し車外で地元の人と雑談をし、午前一一時三〇分頃再び福井の運転で出発し被災者は仮眠室で横になっていたところ、午後零時〇五分頃、被災者が突然「気分が悪い、止めてくれ」というので停車したが、三ないし五分後被災者が「もう大丈夫だから行ってくれ」と言うので同所を出発した。その後国道三二四号線を経て松橋インターチェンジから九州自動車道へはいるまでに、被災者は三回嘔吐したが、「健康保険証がない、鳥栖の営業所まで行ってくれ」などと正常な応対をしていた。午後一時四〇分頃、福井は松橋インターチェンジから一つめのパーキングエリアに停車し被災者の吐物を処理し、同所に電話がなかったため訴外会社鳥栖営業所への連絡ができぬまま出発し、午後二時一〇分頃、熊本北サービスエリアで鳥栖営業所へ電話で救急車の手配を依頼し、午後三時頃、被災者は鳥栖インターチェンジで救急車に移り、鳥栖市内の三輪堂医院に収容されたが、同日午後七時二五分高血圧性脳内出血により死亡した。

(3) 以上のとおり行われた本件天草運行はこれまでの運行態様と同一のパターンであり、従前に比して特別に異常な労働条件の下に置かれていたとか、特別に異常な体験を伴わざるを得なかった等の事情は一切存在せず、通常の業務と何ら異なるものではない。

2  被災者の健康状態及び健康管理

(一) 被災者の健康状態

訴外会社はほぼ毎年二回健康診断を実施しており、被災者の健康診断の結果は別表(四)記載のとおりであり、被災者は少なくとも昭和四八年以降は本態性高血圧症(高血圧の原因となる基礎疾患が判明していないもの)に罹患し、高血圧につき要治療と診断されたことが三回程あったので、訴外会社は被災者に右健康診断の結果を告知し治療をするように指示したところ、被災者は昭和五一年から五二年にかけて土橋病院に通院治療し一時血圧値も低下して治療の効果があったものの、昭和五三年以降は何らの治療も受けていなかった。

(二) 高血圧症の発症原因

被災者の罹患していた本態性高血圧症の原因としては、遺伝と環境とが関係し、特に加齢、肥満及び食塩摂取量と関連があることが指摘されているところ、被災者は昭和四八年一一月当時すでに四三歳に達し年齢的に高血圧症の発症しやすい年齢であったこと、食塩の過剰摂取があったこと、一日約三〇本の喫煙と一合程の飲酒の習慣があったことが右高血圧症を発症させるに足る環境因子であり、運輸交通労働者に他の労働者に比べて高血圧症が多いとはいえないことに照せば被災者の就労態様は高血圧症を発症増悪させる要因とはいえず、被災者が一時的には投薬治療を受けたものの、高血圧症であることを知りながらほとんど治療らしい治療を受けていなかったことが右高血圧症を増悪させた大きな原因であった。

(三) 訴外会社の健康管理

訴外会社は被災者に対する健康配慮義務を十分尽していたものであるが、仮に健康配慮上何らかの落ち度があったとしても、そのことが労働者災害補償保険の災害補償の支給対象となる業務上の災害に当たるか否かを決定する基準とはなりえない。

3  脳出血発症後の措置

公進ケミカルからの帰路の状況は前記1(三)(2)のとおりで、被災者の脳出血発症後同人に対し福井が講じた措置は適切であった。また、被災者の死因となった高血圧性脳出血は、内側型でしかも激症型であった。この内側型は生命維持のため最も重要な大脳の中心近くにおける出血であるため手術適応がなく、非常に短時間に死亡する激症型であったため、救命は不可能であり、本件については脳出血発症後の使用者側の措置につき仮に問題があるとしても、これと被災者の死亡との間には因果関係がない。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実中、冒頭部分(被災者の死亡が業務上の事由によるものでない旨の主張)は否認する。

抗弁1(一)(1)のうち、臨発が運転手の希望によることは否認し、その余は認める。臨発は訴外会社の指示によるものである。(2)は否認する。

抗弁1(二)(1)のうち、別表(一)の三月分の出勤日数及び休日、四月分の二泊三日の運行日数、三、四、五月分の月間走行粁数及び一日平均走行粁数は否認し、その余は認める。三月分の出勤日数は二四日、休日は四日であり、四月分の二泊三日の運行日数は八日(正確にはそのうち一回は三泊四日)である。被告主張の月間走行粁数及び一日平均走行粁数の各数値は、実際の数値の二分の一である。二人一組で乗務してそのうちの一名が運転し、他方が運転に従事せず乗務している場合の他方の非運転時間を他方があたかも休んでいるかの如く取扱う被告の主張は被災者のおかれた実情を全く無視している。(2)は否認する。(3)のうち、被災者の昭和五四年六月二日及び三日の行動、四日午後二時から一時間かけて天草への荷物の積込み作業をしたことは認め、その余は知らない。(4)は否認する。

抗弁1(三)(1)のうち、別表(三)の、四日市市から姫路市、姫路市から三原市及び三原市から山口市の運転時間を否認し、その余は認める。四日市市から姫路市への運転時間は一二時一五分から一六時五〇分までの四時間三五分であり、姫路市から三原市への運転時間は一七時一〇分から二一時三五分までの四時間二五分、三原市から山口市への運転時間は五時間である。(2)のうち、被災者が「もう大丈夫だから行ってくれ」と言ったことは否認し、「健康保険証がない、鳥栖の営業所まで行ってくれ」などと正常な対応をしていたことは知らないが、その余は認める。(3)は否認する。

抗弁2(一)のうち、訴外会社が被災者に健康診断の結果を告知し治療をするように指示したことは否認し、被災者が昭和五三年以降は何らの治療も受けていないことは知らないが、その余は認める。

抗弁2(二)及び(三)は否認する。

抗弁3は否認する。

五  原告の主張

1  被災者の勤務状況

(一) 長距離路線トラック運転労働

今日の激しい交通事情の下では自動車運転業務自体が極度の精神的緊張と注意力の集中を要求されるところ、被災者の従事していた長距離路線トラック運転労働は、荷物を積載したトラックを夜間運転し、四日市と熊本、東京等の間を往復するものであるが、右業務は必然的に不規則かつ長時間の労働となり、慢性的な休養不足を生じるうえ、深夜早朝に及ぶ労働は反生理的であり、不規則さとあいまって労働者に過労状態をもたらしている。

(二) 本件被災前三か月間の勤務状況

被災者は訴外会社からあらかじめ呈示された一か月の運行計画だけでなく訴外会社から臨時に依頼される運転業務すなわち臨発に月一、二回の割合で従事していたが、本件被災前三か月間の勤務状況は、長時間かつ不規則な労働が集中しており、このことは〈1〉運転キロ数及び〈2〉出勤日数、勤務時間、運行時間を見れば明らかである。すなわち、〈1〉被災者の運転キロ数(以下、便宜上全走行キロ数の二分の一の数値で検討するが、コンビを組む他の運転手の運転している間も特段休養しておらず、トラックに揺られ続け疲労が蓄積されていることを十分考慮すべきである)は、三月度(二月一六日から三月一五日)が五六三四キロメートル、四月度(三月一六日から四月一五日)が六三三〇キロメートル、五月度(四月一六日から五月一五日)が四七一二・五キロメートル、六月度(五月一六日から六月六日)が四一八四キロメートルであるが、これらはいずれも路線トラックの一か月間の全走行キロ数の全国平均三六二〇キロメートルをはるかに上回った距離であり、しかも一か月に満たない六月度でさえ右全国平均をはるかに上回っており、被災者は日常的に過重な労働を行っていた。〈2〉訴外会社が賃金の計算上算出した勤務時間等は、次のとおりである。

〈省略〉

右の勤務時間及び運転時間の数値は擬制的なものであり、実際の労働時間の方がより長時間であるけれども、右数値でさえ路線トラックの全国平均を大幅に上回っており、被災者の労働の過重さは明らかである。

(三) 昭和五四年五月二〇日から六月二日までの勤務状況

被災者の死亡直前の昭和五四年五月二〇から六月二日の二週間は、帰着日二六日の午後一一時三〇分頃帰着後に当然二七日に食い込んで荷卸しをして終業点検、洗車等の作業をしなければならなかったことを考慮すると、連続一四日間勤務し、その間に完全な全一日の休日もなかった。また、夜勤も二週間で一〇回と異常に多いうえ、五月二五日は午前七時三〇分に帰着後事後整理をしてほとんど休息のないまま午後一時から次の勤務に従事し、いわゆる折り返し運行をしている。そして、この二週間の総拘束時間は一九五・七時間、一日当りの拘束時間は平均一四・〇時間であり、昭和五四年一二月二七日基発六四二号通達の基準である二週一五六時間、一勤務日一三時間を大幅に上回っており、連続運転時間も大半が右通達の基準である四時間を上回っていた。

(四) 労働環境

被災者の使用していたトラックは、昭和五四年一〇月廃車予定の古い車で、震動や騒音が激しく、クーラーも設置されていなかったし、運転席後ろにある仮眠ベットは幅六〇センチメートルと狭くて体を伸ばせず、切り込みがあるためにふとんや肩が落ち込んで寝苦しく、仮眠ベッドでコンビを組んでいる運転手が運転中疲労を回復するに必要な良質の睡眠をとることは到底不可能な状況であった。

2  本件天草運行の状況

(一) 被災者の長時間運転

本件天草運行はこれまでになく長距離(総走行距離が二〇〇〇キロメートルを超える)の業務であるが、その往路において被災者は合計約一一時間四五分運転しており、一連続の運転時間は最初四時間三五分、次に五時間、次に二時間一〇分であるが、特に午後一〇時から翌朝三時までの五時間という長時間の連続運転は人間の生活リズムの中で最も生理的活動が停滞する時間に行われており、その後、後述の悪路が続く山間の道路を運転し続けたのであるから、当日の運転労働自体極めて過重なものであった。

ちなみにILO一六一号勧告や昭和五四年一二月二七日労働省通達は運転労働者の連続運転を四時間に制限している。

(二) 天草の道路状況

本件被災当日松橋町から公進ケミカルまでの二時間一〇分(午前八時二〇分から一〇時三〇分)は被災者が運転していたが、このうち国道三二四号線今泉地内の知十橋手前より左折し公進ケミカルに至る約二七キロメートルの道路は、被災者が日常の業務により走行した一般の幹線道路とは異なり極めて劣悪な道路事情であった。すなわち、右区間の道路は、道路幅員が狭く歩車道の区別が全くないうえ、山間や海岸沿いに道路が開設されているために著しい蛇行状況を呈する部分が随所に存在し、勾配も著しく、道路沿いに家並の密集する部落を何か所か通過しているなど一般国道とは異なり運転者に対して量的質的に著しい作業負担を与えるものである。このような道路状況の下で大型貨物自動車を運転したことは、それまで一〇時間以上に及ぶ長時間の運転労働により肉体的にも精神的にも疲労していた被災者を一層疲弊させ、本件脳出血を発症させる引き金として作用したことは明らかである。

(三) 公進ケミカルでの荷卸作業

公進ケミカルで被災者は福井とともに二〇〇キログラムのドラム缶五〇本をトラックの荷台上で引き倒し荷台後部まで転がしてフォークリフトに乗せる荷卸し作業を行ったが、二人での作業なので単純にいえば一人一〇〇キログラムの負担がかかる重労働であり、右作業終了後ほどなく気分が悪いと訴えその後嘔吐している経過に照らせば、右作業が被災者の血圧を上昇させ、ひいては本件脳出血発症の引き金となったことは明らかである。

3  訴外会社の健康配慮義務違反

訴外会社は労働契約上使用者として労働者に対し健康配慮義務を負っており、労働者が当該業務の遂行により健康障害を生ずる具体的な危険性と高度の蓋然性があるときは、その疾病自体が業務に起因して生起したものであると否とを問わず、その業務遂行による疾病増悪の危険から労働者を保護するように配慮して業務を命じなければならない義務を負担している(労働安全衛生法六六条七項、六八条、労働安全衛生規則六一条参照)。訴外会社は被災者の健康診断の結果(別表(四)記載のとおり)を知っており、被災者が当時就労していた過酷な肉体的精神的疲労を強いる長距離トラック運転労働を継続すれば、高血圧症が一層増悪し、ひいては脳出血の発症に至る危険性があったことが明らかであったから、作業の転換や労働時間の短縮など被災者を適切な労働に配置すべき義務があったのにこれを怠ったため、被災者は高血圧症を増悪させ、ひいては本件脳出血を発症し死亡するに至ったのである。

4  脳出血発症前後の被災者に対する措置

被災者が本件被災当日午後零時一〇分頃気分が悪いと訴え午後一時三〇分頃嘔吐した時点では脳出血には至っておらず高血圧性脳症の段階であり、この時点で何らかの適切な措置がとられていれば死に至る脳出血発症にまで増悪しなかったのに、前記2(二)記載の天草の悪路、特に天草郡姫戸町二弁当峠付近の山間のつづら折りの蛇行する道路を走行し、激しい震動と揺れを受けて異常な高血圧状態が回復されないまま脳出血発症にまで至ったのである。また、その後も午後三時二〇分頃三輪堂医院に収容されるまで三時間以上も全く医療措置を受けられなかったのであって、ごく軽度の症状のうちに適切な措置を受けられず、車に揺られ続けたため、病気の自然的増悪に比して極めて急激な増悪を招来し遂に被災者の死亡という結果に至ったのである。

5  結語

以上で明らかなように、被災者の死亡は業務に起因することの明らかな疾病に基づくものであり、本件処分は違法であるから取消されるべきである。

第三証拠

当事者の証拠の提出、援用及び認否は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(被災者の死亡)、同2(本件処分の存在)、同3(審査請求及び再審査請求の経由)の各事実については、当事者間に争いがない。そこで以下、被災者の死亡が「業務上死亡した場合」にあたるか否かを検討する。

二  事実関係

1  まず、被災者の従事していた運転業務の一般的内容についてみるに、次の(一)の事実は当事者間に争いがなく、また、(証拠略)を総合すれば、次の(二)の事実を認めることができる。

(一)  被災者(昭和五年一月五日生)は、昭和三四年四月から訴外会社の路線トラック運転手として長距離貨物輸送に従事し、訴外会社が予め定めた運行計画に従い同社の大型貨物自動車を運転して指定された地へ物品を運搬していたが、そのほか月一回程度「臨発」と称する臨時の運転にも従事し、いずれも本件被災前の数年間は福井章運転手とコンビを組んで業務に従事していた。

被災者が従事していた具体的な業務内容は、始業に際し車両の点検を行い、指示された荷物の積込みをしてから目的地まで貨物自動車を運転し、到着後は荷物を卸して往路の任務を終え、帰路も同様の行程に従事するものであるが、運行日数は目的地によって異なるものの一往復でおおむね足かけ三日程度であり、必らず交替要員を同乗させて二人が組になって約三ないし五時間毎の交替で運転し、その間他の一人は運転席後部に設けられた仮眠室に体を横にして睡眠又は休養をとることができ、荷物の積み卸し作業については、通常他の従業員が操作するフォークリフト等で搬出入が行なわれるため、運転手は貨物自動車の荷台内でフォークリフト等への積卸しに従事する程度であった。

(二)  昭和五一年四月から本件被災当時まで被災者は福井章とコンビを組んで一一・五トン積みの大型貨物自動車による長距離貨物輸送業務に従事していたが、その業務としては、運行計画が二、三か月前から掲示される正規の業務と、正規の業務がない日にあらかじめ運転手が希望し当日訴外会社も増発運行の必要があるときに行われる臨発とがあった。四日市コンビナートの近くに位置する訴外会社四日市支店は、本件被災後の昭和五四年一〇月頃まで三菱油化の製品を貸切りで行なう長距離輸送の業務が多く、その場合の主な積荷は、本件天草運行で運搬した二〇〇キログラム入りドラム缶のほか、一〇〇キログラム入りドラム缶や五〇〇キログラムバック(スチールの材料)などであった。また、同支店では、二人一組で長距離貨物輸送業務に従事する各コンビを三班に分け、各班において正規の業務も臨発も同じ日に出発する複数の運行業務の中からどの仕事に従事するかは運転手側が選択することができた。そして、その選択については、各運転手間で不公平が生じないよう順番に優先選択権が各コンビに与えられるよう配慮されていた。

2  被災者の本件被災前の勤務状況についてみるに、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被災者の一か月間の運転走行距離は、昭和五四年二月一六日から三月一五日(以下、三月度という)が五六三四・〇キロメートル、三月一六日から四月一五日(以下、四月度という)が六三三〇キロメートル、本件被災前三週間は四一八四・〇キロメートル、四月一六日から五月一五日(以下、五月度という)が四七一二・三キロメートルであり、三月度の出勤日数は二四日で休日は四日、四月度の出勤日数は二四日で休日は七日、五月度の出勤日数は二一日で休日は九日である。また、被災者の本件被災前三週間の勤務状況は別表(二)記載のとおりである。

(二)  被災者の本件被災直前の勤務状況、すなわち五月一五日から本件天草運行までの勤務状況は静岡県藤枝への一泊二日の臨発運行から五月一五日午前四時頃帰着した後、同日午後一時には再び勤務につき、ドラム缶を積載して同日午後三時四〇分頃広島県方面への二泊三日の運行に出発し、翌一六日午前四時頃目的地に到着、午前八時から九時まで荷卸しに従事後、岩国で雑貨等を積載し、午後四時三〇分頃出発、翌一七日午前八時頃帰着(五月一五日から一七日までの間の被災者のハンドル時間合計約一二時間一〇分、乗務非ハンドル時間合計約一七時間一〇分、総拘束時間約四七時間)、五月一八日は三時間出社して積荷及び整備等に従事し、五月一九日は全一日休日、五月二〇日バックを積載して午後二時五〇分頃山形県方面へ二泊三日の運行に出発し、翌二一日午前七時三〇分頃目的地に到着、八時から九時半まで荷卸し、午前九時三〇分頃帰路出発、翌二二日午前三時三〇分頃帰着(この運行での被災者のハンドル時間合計約一六時間三〇分、乗務非ハンドル時間合計約一五時間、総拘束時間約三八時間三〇分)、翌二三日ドラム缶を積載して午後二時五〇分頃新潟県方面へ二泊三日の運行に出発し、翌二四日午前六時一〇分頃目的地に到着、八時から九時半まで荷卸し、午前九時半頃帰路出発、翌二五日午前七時半頃帰着(この運行での被災者のハンドル時間合計約一三時間三〇分、乗務非ハンドル時間合計約一八時間五〇分、総拘束時間合計約四二時間三〇分)、再び同二五日ドラム缶を積載して午後四時三〇分頃広島県方面へ二泊三日予定の運行に出発し、翌二六日午前三時三〇分頃目的地に到着、八時半から九時半まで荷卸し、午前一〇時頃帰路出発、同日午後一一時二〇分予定より早く帰着(この運行での被災者のハンドル時間合計約一〇時間五〇分、乗務非ハンドル時間約一二時間、総拘束時間約三二時間二〇分)、翌二七日は全一日休日、翌二八日袋物を積載して午後三時三〇分頃愛媛県方面へ二泊三日の運行に出発し、翌二九日午前四時頃目的地到着、八時半から九時半まで荷卸し、午前九時三〇分頃帰路出発、翌三〇日午前二時三〇分頃帰着(この運行での被災者のハンドル時間合計約一二時間一〇分、乗務非ハンドル時間合計約一三時間四〇分、総拘束時間三七時間三〇分)、翌三一日ドラム缶を積載して午後四時四〇分頃広島県方面へ二泊三日の運行に出発し、翌六月一日午前四時半頃目的地に到着、八時半から九時半まで荷卸し、岩国営業所で袋物積載後午後二時頃帰路出発、翌二日午前六時二〇分頃帰着(この運行での被災者のハンドル時間合計約一四時間、乗務非ハンドル時間合計約一二時間二〇分、総拘束時間四一時間二〇分)、翌三日は全一日休日、翌四日午後一時から三時まで積荷・整備等、翌五日から本件天草運行となった。

3  本件天草運行、その直前の被災者の行動及び本件被災発生の経過についてみるに、次の(一)の事実は当事者間に争いがなく、また、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の(二)(三)の事実を認めることができる。

(一)  被災者は、昭和五四年六月二日午前九時頃広島への運行を終えて帰宅し、同日午後零時三〇分に福井とともに伊勢湾の神島へ海釣りに出かけ、同島で一泊して夜釣りと早朝釣りをし、翌三日午後六、七時頃帰宅した。翌四日は、午後二時から一時間かけて天草への貨物(二〇〇キログラム入りドラム缶五〇本)の積み込み作業をした。

(二)  被災者は福井運転手とともに二〇〇キログラム入りドラム缶五〇本を積載した大型貨物自動車で二泊三日の本件天草運行に同月五日午後零時一五分頃訴外会社四日市支店を出発し、午後四時五〇分頃兵庫県姫路市内のドライブ・インに至るまで被災者が運転し、同所で約二五分間休憩してきつねうどんを食べ、同所を午後五時一五分頃出発して午後九時三五分頃広島県三原市内に至るまで福井が運転し、同所で約二五分間休憩して天ぷらうどんを食べ、同所を午後一〇時出発して途中広島にて約一〇分間燃料を補給し翌六日午前三時頃山口市内に至るまで再び被災者が運転し、同所で約一〇分間休憩してジュースを飲み、同所を午前三時一〇分頃に出発して午前八時頃熊本県松橋町内に至るまで福井が運転し、同所で約二〇分休憩していなり寿司を食べ、同所を午前八時二〇分頃出発して午前一〇時三〇分頃目的地である公進ケミカルに到着するまで被災者が運転し、到着後二人で直ちに荷卸し作業を開始し、同所にて約四〇分間で荷卸し作業(これは二〇〇キログラムのドラム缶五〇本を被災者と福井が横に倒し荷台の上を公進ケミカルの作業員の運転するフォークリフトまで転がしていくもの)を完了した。

(三)  本件天草運行の業務は訴外会社四日市支店における路線トラック業務の中では最も長距離の業務の一つであったが、被災者らは復路では訴外会社鳥栖営業所において荷物を積載して四日市支店へ戻る予定になっていたのでなるべく早く鳥栖営業所へ行こうと考え、公進ケミカルで荷卸し作業終了後休息をとることなく、午前一一時一〇分頃福井の運転で帰路についたが、約一〇分後に海岸で魚釣りをしている人を見かけたので停車してこれを見物し、午前一一時三〇分頃再び福井の運転で出発した。被災者はしばらく助手席にいた後仮眠室に移り横になっていたところ、天草郡姫戸町の二弁当峠を越えた頃から気分が悪くなり、始めは我慢していたものの耐えられなくなったため、午後零時〇五分頃福井に「気分が悪い、止めてくれ」と声を掛け停車してもらったが、その時点では被災者も福井もこれまでも被災者がハンドルを握っていないときに車に酔う習癖があったためまた車に酔ったのであろうと軽く考えていた。三ないし五分後に少し気分が回復したこともあり、被災者は「もう大丈夫だから行ってくれ」と言ったので、福井は再び運転を開始した。その後国道三二四号線を経て松橋インターチェンジから九州自動車道へ入るまでの間に被災者は三度程嘔吐したが、その間に福井が被災者に医師の診察を受けることをすすめたものの、二人とも被災者の健康状態が重大な状況にあるとは全く考えず、被災者は仕事の遂行上早く鳥栖営業所へ行かなければならないと考えていたうえ、同営業所には以前四日市支店勤務をしていた者がいるなど頼み事をしやすかったのに反し、走行途中の土地はなじみの全くない不案内の土地であったうえ、当時健康保険証を所持していなかったこともあって、唯ひたすら鳥栖営業所へ到着することのみを望み、「鳥栖の営業所へ行ってくれ」というので、福井はこれに従って運行を続け、午後一時四〇分頃松橋インターチェンジから一つ目のパーキングエリアで停車し、被災者に水を運んできて被災者の口をすすがせ、吐物を処理し、上半身の下着を取り替えてやったりしたが、その頃には被災者は身体が思うように動かなくなってきていたらしく、「体がいうことをきかん」と言っていた。もっとも、当時は口をすすいだり、下着を着替える際に手や肩を動かしたりすることはできたし、会話もできた。福井は同所で鳥栖営業所へ電話連絡をしようとしたが、同パーキングエリアには電話がなかったのでこれを果たせず、同所を出発して熊本北サービスエリアに至り、午後二時一〇分頃同所で鳥栖営業所へ電話で救急車の手配を依頼し、その旨を被災者に告げたところ、被災者は福井に対し「すまん。世話をかけるなぁ」と礼を言ったが、これが被災者最後の言葉になった。同所から再び九州自動車道を北上して午後三時頃鳥栖インターチェンジに到着し、その頃には既に意識がなくなっていた被災者を待機していた救急車に乗せ替えて鳥栖市内の三輪堂医院に直行したが、被災者は同日午後七時二五分頃同病院において高血圧性脳内出血により死亡した。

4  本件被災当時の天草の道路状況及び被災者の乗車していた貨物自動車の状況については、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  被災者らが被災当日走行した国道三二四号線今泉地内の知十橋手前の左折地点から公進ケミカルに至るまでの約二七キロメートルの道路は、その地域の主要県道及び幹線国道であるが、山間や海岸沿いに開設されており、切り返さなければ進めないというような箇所はないものの、曲線や勾配も多く、道路幅員も五ないし六メートルの区間が多く、見通しが悪いためカーブミラーが設置されているところもあり、制限速度は三〇ないし五〇キロメートルで、路面はほぼ全面舗装されているとはいうものの舗装不良箇所が見られ、一般の幹線道路に比べて劣悪な状況であり、特に天草郡姫戸町二弁当峠付近では道路幅員が狭くて対向車があれば走行できない箇所や急なカーブが多く、一一・五トンの大型貨物自動車を運転して走行するのに苦労する箇所が多くあった。

(二)  被災者らが本件天草運行に使用した貨物自動車は、被災者及び福井が常時使用していたものであったが廃車処分時期の迫った一一・五トン積みのトラックであり、クーラーは設置されておらず、新型車に比して振動や横振れは大きく、また運転席後部の仮眠室はエンジン部分の上にあるうえベッドの頭部及び肩付近では幅が五〇センチメートル程しかないなど充分に疲労を回復できる施設とはいいがたいものであった。

5  被災者の健康状態及び死亡原因等についてみるに、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  訴外会社では毎年二回(おおむね春秋各一回)健康診断を実施していたが、その各実施が二日間しか行なわれないため、一往復三日間の長距離貨物輸送に従事する被災者らは必然的に健康診断に受診する機会を逃すことが生じ、被災者は昭和五二年秋と昭和五三年春の二回連続して健康診断を受診していなかった。被災者の健康診断の結果は別表(四)記載のとおりであり、被災者は明らかに昭和五一年(収縮期圧二〇〇mmHg、拡張期圧一三〇mmHg)以降は本態性高血圧症に罹患し、明らかに高血圧につき要治療、要注意の状態にあったにもかかわらず、昭和五一、二年頃に土橋病院に一時通院治療をしただけで、昭和五三年以降は自覚症状もなく普段の生活上障害となることもないのをよいことに治療を怠り、また被災者自身高血圧症に罹患していることに留意していなかった。他方、訴外会社は被災者がこのように明らかに要注意の高血圧症に罹患していることを健康診断の結果知り得たにもかかわらず、全くこれに考慮を払うことなく、健康者にとってさえ激務といえるものであり、しかも高血圧症を増悪させる要素となる深夜勤務を伴う不規則労働が常態の長距離運転を、全く健康者と同等に被災者に命じていた。

(二)  被災者は高血圧症を除けば健康状態は良好であり、日常生活では喫煙は一日三〇本位、飲酒は自宅で毎夕食時(勤務体制を考慮すれば週三・四回程度となる)日本酒をコップ一杯位、食生活では特に塩分の多い品を好むわけではなく、労働の面を除いた被災者の日常生活において高血圧症を発症増悪させる特別有力な要因は認められない。他方、被災者の従事していた長距離貨物輸送業務は、深夜及び早朝を含む長時間労働であり、生体リズムの乱れや生理機能の変調を惹起しやすく、しかも運転業務自体肉体的・精神的緊張の持続が求められるもので、高血圧症を発症増悪させる要素となるものである。

(三)  被災者が三輪堂医院(なお、同医院は本件後の昭和五四年九月に佐賀県下では二番目に早くCTスキャンを導入した)に収容された時(午後三時二〇分頃)は全くの昏酔状態であり、血圧は収縮期圧が二七〇mmHg以上で測定不能、拡張期圧が一六〇mmHgであり、瞳孔は当初右眼のみ散瞳していたところ、約一〇分後には両眼とも散瞳して対光反射がなくなり、脳血管造影の結果によれば、血流が顕著に遅延し右前大脳動脈は左へ、レンズ核線状体動脈及び中大脳動脈は右へそれぞれ偏位していた。被災者は同医院に収容されてから約四時間後の午後七時二五分頃手術を受けることなく高血圧性脳内出血により死亡したが、右脳出血の増悪は高血圧症の増悪によるものであり、激症で内側型の高血圧性脳内出血であった可能性が高いがその場合には手術の適応がなく、被災者の脳出血発症後はいかなる措置を講じても救命することは極めて困難である。

(四)  被災者の高血圧性脳内出血の発症が開始したのは、松橋インターチェンジから一つ目のパーキングエリアにおいて身体が思うように動かなくなったと言った午後一時四〇分頃の少し前であると推測される。そして、右発症は、前日の午後零時一五分頃訴外会社四日市支店を出発して公進ケミカルに到着した六日午前一〇時三〇分頃までの間、被災者は一〇分ないし三〇分の小休憩四回や仮眠二回を挾んで連続二二時間余約一〇〇〇キロメートル乗務し、その間直接一一時間三五分も高血圧症の増悪をもたらす大型貨物自動車の運転に従事し、しかも公進ケミカル直前の走行困難な道路を被災者が二時間一〇分かけて運転し、公進ケミカルに到着するや直ちに、福井と協力し貨物自動車荷台上において二〇〇キログラム入りドラム缶五〇本を横に倒した後荷台に横づけされたフォークリフトまでこれを転がして行く重労働の荷卸し作業に約四〇分間従事し、右作業終了と同時に休息もせずにカーブの多い道路を福井運転の貨物自動車に同乗して走行し振動及び横振れの影響を受けた結果、右連続運転とこれに続く重労働の荷卸し作業によって異常に亢進した血圧が下降せず、亢進し続けたためであると推測される。

しかし、被災者は、魚釣りの見物を終えて午前一一時三〇分頃出発後、気分が悪いのを我慢できなくなったため福井に声を掛けて停車してもらった午後零時〇五分までの間に気分が悪くなってきたのを自覚したのであり、これは右発症の前駆症状と考えられるが、もし被災者が本件天草運行で貨物自動車に乗車して土地不案内の遠隔の地まで来ていなければ、右前駆症状を自覚した段階において、車酔いと誤認した振動と横振れの大きいカーブの多い道路の走行を無理に継続して高血圧の増悪をもたらすような最悪の行為をすることなく、安静状態に保ち早急に医師の適切な措置を受けることができ、脳出血発症を阻止する可能性が十分にあったものと推測される。

三  判断

被災者の死亡につき労働者災害補償保険法一二条の八所定の遺族補償給付及び葬祭料を受給するためには、被災者が「業務上死亡した場合」でなければならないから、被災者の高血圧性脳内出血による死亡と業務との間に相当因果関係がなければならず、相当因果関係があるというためには、当該業務がその死亡につき最も有力な原因であることまでは要しないが、少なくとも相対的に有力な原因であることが必要であるというべきである。そこで、この点につき前記認定事実に基づいて被災者の場合を検討すると、被災者(死亡当時四九歳)の死亡原因は高血圧性脳内出血であり、被災者は当時既に高血圧症に罹患しており、高血圧症そのものが業務に起因して生じたものとは認め難いところであるけれども、被災者の従事していた長距離貨物運搬業務は深夜勤務を伴う長時間の不規則労働が常態の、厳しい肉体的・精神的緊張と疲労をきたす健康者にとってさえ激務といえるものであり、高血圧症を増悪させる要素をもつものであるところ、本件天草運行は訴外会社四日市支店における路線トラックの業務の中では最も長距離の業務の一つであり、被災者は、訴外会社四日市支店を出発し公進ケミカルに到着するまでの間、一〇分ないし三〇分間の休憩四回や仮眠二回を挾んで二二時間余約一〇〇〇キロメートル乗務し、その間直接一一時間三五分も高血圧症の増悪をもたらす運転に従事し、しかも公進ケミカル直前の走行困難な道路を被災者が二時間一〇分かけて運転し、公進ケミカルに到着するや直ちに貨物自動車荷台上において福井と協力して二〇〇キログラム入りドラム缶五〇本を横に倒し荷台に横づけされたフォークリフトまで転がして行く重労働の荷卸し作業に約四〇分間従事し、右作業終了と同時に休息もせず帰路につき、カーブの多い道路を福井運転の貨物自動車に同乗して走行し、振動及び横振れの影響を受けたことが誘因となって死因となった脳出血が発症したこと、そして、被災者は午前一一時三〇分頃以後午後零時〇五分頃までの間に脳出血の前駆症状(気分が悪くなった)を自覚したのであるから、この段階で安静状態に保ち医師の適切な措置を受けていれば脳出血にまで至らなかった可能性が十分あったにもかかわらず、本件天草運行に従事して土地不案内の遠隔地を走行中であったために、なるべく早く鳥栖営業所に到着して積荷作業をしなければならぬと考えたこと、福井とコンビの乗務であるため自分の都合で運行が遅延すると福井に迷惑を掛けることになるのでできる限り我慢したこと、公進ケミカルへの運行は二度目にすぎず当該地方の事情に暗く被災者の健康状態を気軽に医師に診せる状況にはなかったため知合いがいる鳥栖営業所へともかく行こうと考えたこと、乗車勤務中であったために車酔いと誤認したことなどから、安静にすることも医師の診察も受けることもなく、苦しい体に鞭打って無理に乗車勤務を継続したため、連続乗車及び重労働の荷卸し作業によって亢進した血圧が下らず車両の震動や横振れの影響を受けて血圧が亢進を続け遂に高血圧性脳内出血を発症させるに至ったものであることが認められ、以上の諸事情を総合して考えると、被災者の高血圧性脳内出血による死亡にとって被災者の遂行した業務は相対的に有力な原因であると認めざるをえないので、業務と被災者の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

四  以上によれば、被災者の死亡を業務上の事由によるものとは認められないとした被告の本件処分は違法で取消しを免れず、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 庵前重和 裁判官 下澤悦夫 裁判官 鬼頭清貴)

別表(一)

〈省略〉

別表(二)

〈省略〉

別表(三)

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別表(四) 健康診断結果表

〈省略〉

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